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聖セルギーの没後

1422年セルギー・ラドネシスキーは亡くなり、のち聖人に列せられた。同年、 最初の石造りの聖堂が1389年のコソボの戦いの後、この地を訪れていたセルビア人修道士たちの手によって建立された。この聖堂は聖セルギーの禁欲と神との一体感という理想が反映されている。そして、至聖三者(三位一体)を記憶する至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)の名称が捧げられた。聖人の遺体はこの聖堂に安置され、不朽体に対する聖堂が行われた。

至聖三者大聖堂のイコノスタスは、中世ロシア最高のイコン画家である、アンドレイ・ルブリョフとダニイル・チョールヌィイDaniil Chyorny, の手によるフレスコ画で装飾された。モスクワ大公国の諸侯らは、至聖三者大聖堂で洗礼を受けて、感謝の祈りをここで持つことが伝統となっていった。
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1476年, イワン3世(大帝)は、聖神聖堂Храм Святого Духа を建設するためプスコフの建築職人を招聘した。この優雅な建築は、ロシア正教会の教会建築では頂上に鐘楼をいただく古い様式では最古のものの一つである。内陣はつや出しされたタイルが使用されている。16世紀初期、ヴァシーリー3世はニコン別館 Nikon annexとセラピオン・テント Serapion tentを建立し、セルギーの弟子の何人かは、そこで過ごした。

セルギエフ・パサードの発展
1559年イヴァン雷帝の命により、26年の歳月をかけて、六支柱式のウスペンスキー聖堂(生神女就寝聖堂)が建設された。ウスペンスキー聖堂は、モスクワのクレムリンにある同名の聖堂を模して、同じ形、大きさで造られた。荘厳なイコノスタスは、16世紀から18世紀にかけて作られたもので、シモン・ウシャコフSimon Ushakovの最高傑作である、最後の晩餐のイコンがある。1684年内陣の壁面には、ヤロスラヴリの職人たちによって紫と青を基調としたフレスコ画が貼られた。地下納骨所には、ボリス・ゴドゥノフとその家族、20世紀の何人かのロシア正教総主教らが眠っている。

修道院は寄進によってロシアで最も裕福な地主の一つに成長していった。修道院の建物も増築され修道院を周囲から隔絶していた森も伐採されていった。修道院の周囲には門前町が形成され、現在のセルギエフ・パサードとなる。修道院自体は、ロシア史の記録とイコンの貴重な中心となっていった。1547年修道院の壁のちょうど反対側に聖パラスケワ教会が建設され、聖パラスケワ女子修道院が創設された。現在のヴヴェーデンスカヤ教会である。

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2009年03月15日 13:52に投稿されたエントリーのページです。

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